理事長Lab

「考える力」と「認知スキル」はどのように育つのか
― 主体性・認知スキル・考える力をめぐる13年の記録 ―
1|主体性という言葉に違和感を覚えた日
幼児教育の現場では「主体性」という言葉がよく使われます。
主体的な子ども。
主体性を伸ばす保育。
けれど、理事長に就任して数年が経った頃、私はこの言葉を簡単に使えなくなりました。
自分で手を挙げることは主体性なのか。
自分で選んでいるように見えることは主体性なのか。
表面上は主体的に見えても、実際には大人の意図が強く働いている場面がある。
そのことに気づいたとき、「主体性を育てる」という言葉の危うさを感じました。
主体性は、教え込むものなのだろうか。
それとも、成立する条件の問題なのだろうか。
この問いが、私の13年間の検証の出発点でした。
2|ヨーロッパで見た“思考の土台”
20代でヨーロッパに滞在した経験は、私の教育観に大きな影響を与えました。
弁論会で若者が堂々と発言する姿。
立場を越えて議論が交わされる空気。
不完全でも、自分の考えを差し出す姿勢。
私はその違いに戸惑いました。
知識量の差ではない。
語学力の差でもない。
思考の土台の差でした。
問いを持つことが自然である。
異論を恐れない。
自分の考えを持つことが前提になっている。
その力は、20代で突然身につくものではありません。
幼少期からの環境の積み重ねです。
そのとき初めて、「考える力」というものの重みを実感しました。
3|合理改革という選択、そして葛藤
理事長就任当初、私は合理的な教育設計を導入しました。
目標を明確にし、
カリキュラムを整理し、
成果を可視化する。
将来役立つ力を、早く身につけることは合理的だと考えていました。
しかし、現場で子どもを観察するうちに、違和感が生まれます。
設計が強まるほど、子どもの動きが小さくなる瞬間があった。
問いを立てる前に答えに近づこうとする。
失敗を避ける選択をする。
評価を意識して動く。
そのとき気づきました。
認知スキルは、正解を早く出す力ではない。
4|「認知スキル」をどう捉えるか
「認知スキル」とは、単なる知識量や暗記力ではありません。
・注意を向ける力
・比較する力
・因果関係を考える力
・分類する力
・見通しを立てる力
これらは、思考の土台となる能力です。
例えば積み木遊び。
重さを感じ、
高さを見積もり、
崩れた原因を考え、
修正する。
このプロセスの中に、認知スキルは含まれています。
しかし、急がせれば思考は浅くなる。
早く完成させようとすれば、試行錯誤は減る。
認知スキルは、時間の中で育つ。
5|「考える力を育てる」という視点
「考える力を育てる」という言葉は、認知スキルの延長線上にあります。
考える力とは、
問いを立てる力。
仮説を持つ力。
試す力。
修正する力。
対話する力。
これは“答えを出す力”とは違います。
むしろ、すぐに答えを出さない力でもある。
考える力は、迷いの時間の中で育つ。
6|バカロレア思想との接点
国際バカロレア(IB)は、知識量ではなく思考の質を重視します。
問いを立てる。
探究する。
多面的に考える。
根拠を持って語る。
私たちは制度としてのIBを導入することよりも、その思想に共鳴しました。
幼児期に重要なのは、正解を覚えることではない。
問いを持つ経験を保障することではないか。
しかし、そのためには環境が必要です。
問いを立てられる余白。
失敗が許される空気。
急がせない姿勢。
7|レジリエンスという視点
ここで重要になるのが、レジリエンスです。
失敗したときに立ち直る力。
崩れたときに、もう一度組み直す力。
これは精神論ではありません。
失敗が許される環境があってはじめて、レジリエンスは育ちます。
急がせれば、失敗を避けるようになります。
評価が先行すれば、挑戦は減ります。
レジリエンスは、急がない環境の中で育つ。
8|環境設計への転換
私たちは焦点を変えました。
何を教えるかではなく、
どのような環境で考えるか。
・時間の余白を確保する
・指示を減らす
・評価を急がない
・観察を深める
この転換は簡単ではありませんでした。
しかし13年間の検証の中で、確かな変化を見ました。
自ら問いを持つ姿。
失敗後に修正する姿。
他者と対話する姿。
主体性、認知スキル、考える力、レジリエンスは、
すべて環境と結びついている。
9|急がないという経営判断
社会は加速しています。
しかし、思考の土台は加速できません。
急がせれば成果は見えます。
しかし、深さは失われる。
私たちは「急がない」という判断をしました。
それは理想論ではありません。
長期的基盤を優先する経営判断です。
幼児期は成果を積み上げる時間ではなく、
土台を形成する時間である。
10|まだ結論ではない
主体性は成立条件の問題ではないか。
認知スキルは環境との相互作用の中で育つのではないか。
考える力は急がない時間の中で深まるのではないか。
これは結論ではありません。
13年検証してきましたが、断定はしません。
問い続けること。
急がないこと。
環境を整えること。
それが、私たちの姿勢です。

